ラッタッタ タラッタッタ 菜の花のワルツ 淡路の丘に

ANAGA Diary vol.16ラッタッタ タラッタッタ 菜の花のワルツ 淡路の丘に

淡路島の玄関口、あわじ花さじきでは、今、菜の花が溢れんばかりに咲き誇っています。
麗らかな陽差しをギュッと詰め込んで、華やかに黄色い波が風に揺れています。
遥か青い海まで届きそうなほど、キラキラ輝く黄色い裾野は広がっています。

ブーンブーンとミツバチが忙しげに飛び交い、その羽音は、春を迎えた虫達の悦びのようにも聞こえます。
洲本市五色町でも、緑の田畑を縫うように、黄色い菜の花畑が点在し、春の宴を繰り広げています。
五色町は淡路島出身の豪商 高田屋嘉兵衛の生誕地でもあり、その生涯を描いた司馬遼太郎作『菜の花の沖』は、
NHK大河ドラマにも取り上げられました。

高田屋嘉兵衛記念館菜の花ホール

嘉兵衛は1769年、都志の貧しい農家の長男として生まれましたが、
才覚にも恵まれ、大坂から蝦夷地へ至る廻船問屋として巨額の財を築きました。
後に商いだけではなく、北方領土の開拓や日露民間外交等にも貢献し、数多くの偉業を成し遂げました。
59歳という決して長くはない一生でしたが、ロシアの軍艦ディアナ号副艦長リコルドに、
『日本にはあらゆる意味で人間という崇高な名で呼ぶに相応しい人物がいる』と称されたその生き方は、
紛争の絶えることのない現在において、尚一層、尊く思えるのではないでしょうか。

北前船・辰悦丸

日露友好の像

嘉兵衛が晩年を送るために建てた屋敷は、小さな野に囲まれ、
季節には菜の花が、青い沖を残して野をいっぱいに染め上げたそうです。

自らの人生を、菜の花に例え、
「実を結べば六甲山麓の多くの細流の水で水車を動かしている搾油業者に売られ、そこで油になって、
諸国に船で運ばれる。たとえば遠くエトロフ島の番小屋で夜なべ仕事の網繕いの手もとをも照らしている。
その網で獲れた魚が、肥料になって、この都志の畑に戻ってくる、
わしはそういう廻り舞台の下の奈落にいたのだ、それだけだ。」と話しています。

そんな嘉兵衛の心に寄り添い続けた淡路の海。その海へ3月12日、今年も春の神事、
『浦祈祷祈願祭(うらぎとうきがんさい)と浜芝居』が、岩屋の石屋神社(いわやじんじゃ)で執り行われました。

岩屋漁港より、恵比寿様を乗せた船団が沖へと向かい、五穀豊穣と大漁を祈願して鯛を放流しました。

漁師の無事を見守り続けるように、海岸沿いには神社仏閣が数多く見られます。
『漁』という、人智を超えた自然と対峙する仕事は、謙虚さという教訓をも与えてくれるのかもしれません。

国営明石海峡公園では、『春一番の丘』の河津桜が咲き終わりました。
日本列島が桜色に染まります。桜の季節は一年で最も良い渦潮観潮の時季でもあります。
潮の流れが時速20kmにもなるというダイナミックな海を楽しむのもこの季節ならではのものです。

 銀葉アカシア 菜の花 タンポポ など『黄色』をテーマとする春の第一楽章から、
いよいよ春爛漫 百花繚乱の第二楽章へと、時は進みます。

桜鯛、淡路島サクラマス、シラス、ワカメ、などなど旬の食材を携えて、華やかな春のページが開きます。
今年はどんな春物語が描かれるのでしょうか。